2021年3月26日(金)
第57回 社長通信「平成の三四郎」
社員の皆さん
いつも業務に御尽力いただきありがとうございます。
毎週金曜日に社長通信と題して皆さんに私の想いや感じたことをお伝えしていくことにしました。
一昨日3月24日に鮮やかな背負い投げを持ち味に「平成の三四郎」と呼ばれた、バルセロナオリンピックの金メダリストの柔道家古賀稔彦さんが、53歳という若さで亡くなられました。
柔道家としても素晴らしい方ですが、人としても素晴らしい方でしたのでたので、柔道界にとってとても残念なことです。もっともっと日本柔道界に貢献していただきたかったです。ご冥福をお祈りいたします。
去年の社内木鶏会の9月号で特集が「人間を磨く」でした。その中の対談のお話の中に古賀さんの話があったのを思い出しました。
オリンピック10日前の吉田秀彦選手との練習中に靭帯を痛める全治一カ月の大けがを負いました。それでも「大丈夫だから」と絶対に弱気を見せなかったそうです。
そして吉田選手は金メダルを獲って、翌日古賀選手は痛み止めの注射を6本打ち、執念で金メダルを獲りました。
古賀選手のその精神力は凄いという言葉だけでは表せないものです。また、その凄さを表しているのが、致知での話です。
古賀選手達が入門していた「講堂学舎」では、古賀選手がケガをして「古賀はもうメダルを獲れない」という世間の空気が漂っていた時に、「これで条件は揃った。古賀は勝てる」と皆が確信したということです。凄くないですか?自分だけでなく、仲間も信じ合っているのです。
オリンピックの舞台はどんなに実力があっても0.1%でも油断があれば勝てない世界。古賀選手の場合、技術面はこれまで培ってきたものがありますから、最後の勝敗を分けるのは心です。ケガをすることによって緊張感が研ぎ澄まされますから「これで古賀は勝てる」と周囲は確信しました。試合前に祖父が古賀にかけたのは、「人間力で闘いなさい」の一言だけでした。
そして古賀も古賀で凄かったのは、「自分は足が一本ないくらいで負けるような練習をしていない」と腹が据わったことで、金メダルを手にすることができた。と語っています。
後日談ですが、吉田さんは腓骨を骨折していて、古賀選手は強烈なストレスで胃に穴が開いて胃潰瘍になっていたそうで、足のケガよりも重症だったとのことです。
心技体、柔よく剛を制すと言われる日本の柔道界から一人の侍が旅立たれました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
コロナの影響で生き残れる「勝ち組」と生き残れない「消滅組」のどちらかに分かれます。「勝ち組」になる為に皆さんのプライドをかけて挑みましょう。その先にあるブルーオーシャンをみんなで見ましょう。
家族に自慢できる会社にするために一丸となってやりましょう。
正栄工業株式会社
代表取締役
久保 勇樹