牛若丸は京都の五条大橋上で、右に左にフットワーク軽く動き回り、弁慶をこらしめ、家来にしました。牛若丸が長じて、名を義経と変えましたが、義経は戦えば必ず勝つと言うほど優秀な戦術家であり、兵法家でした。同時に、義経は学問の道・管弦の道(音楽の道)にも長けており、また人柄も多くの家来達に慕われる武将でした。
有名な話ですのでご存知の方も多いと思いますが、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちる際、義経一行は山伏に姿を変え、苦難の逃避行でした。
この時に、弁慶は智謀で義経を助けます。一行は加賀国安宅の関で、富樫左衛門に見咎められます。弁慶はとっさの機転で偽の勧進帳を読み上げ、疑われた義経を自らの金剛杖で打ち据えます。関守の富樫左衛門は弁慶の嘘を見破りながら、その心情を思い、あえて騙された振りをして関を通します。
その後、義経一行は奥州にたどり着き、藤原秀衡のもとへ身を寄せます。子の藤原泰衡は秀衡が亡くなると頼朝の威を恐れ、父の遺言を破り、義経主従を襲います。多数の敵勢を相手に果敢に闘う義経一行ですが、とうとう守り切れなくなり、弁慶は義経を守って堂の入口に立って薙刀を振るって戦い、雨の様な敵の矢を受けて立ったまま死にます。これが「弁慶の立往生」と後世に語り継がれました。
正栄工業のロゴにはこの牛若丸と弁慶が配されています。
お客様のご要望をフットワーク軽く聞き回る営業部隊が牛若丸部隊です。男性を牛若ボーイズ、女性を牛若ガールズと呼んでいます。
その牛若部隊が取ってきたお客様のご要望を形にして仕上げるのが弁慶部隊です。無骨で気難しく頑固ですが、牛若部隊のために何とかしたい、という気概だけは高く持っています。どんなに難しいオーダーでも最後まで諦めずに闘います。正に武蔵坊弁慶です。
正栄工業には牛若丸と弁慶がたくさんいます。牛若丸と弁慶によって作られた数々の感動の仕事物語を「牛若丸物語」と言います。